2016年04月22日のつぶやき
- 2016.04.23 Saturday
- 02:31
17:27
Mさんと河原で、朝 https://t.co/87geQQEezY #jugem_blog
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Mさんと河原で、朝
- 2016.04.22 Friday
- 17:27
すぐに思い出すのは、最高に楽しいどっきりに引っかかった日のことだ。
「佐口、今日と明日、時間ある?」と編プロの先輩ライターのAさんから電話がかかってきた。
仕事を始めたばかりで、電話は滅多にならず、時間はどっさり余っていた。
「ありますよー」
「新宿で打ち合わせするから、◯時に来れる?」
「はーい」
合流し、向かった先は丸正だった。
食品売り場でカゴを持たされ、あれやこれやを買い込む。
なんかヘンだ。
でも、料理の撮影もやっている編プロだったから、スタジオへ行くのかな? と思ってた。
だけど、次に向かった先は中央線のホーム。
乗り込んだのは青梅特快、青梅行。
せいぜい行っても吉祥寺辺りで降りるんだろうと思っていたら、特快は吉祥寺止まらないのね。
三鷹を出たら、ぐんぐん都心から離れていって、薄暗くなった頃、青梅に到着。
「えーと、なんですか? これ?」
「いいの、いいの。お迎え来てるからー」
駅前に止まっていたのは、シルバーのハイエース。
ドアが開いて、ニカッと笑顔でカメラマンのMさんが現れた。
「おー、佐口。よく来たねー」
「はい」
「乗って乗って」
あ、やっぱ撮影? でも、山で? 暗いけどなどとドギマギしているうち、ハイエースは山道を進み、駐車場に。
「着いたよー」
「はい」
「降りて降りて」
「はい」
「荷物持っていくの手伝ってね」
「はい。ここで撮るんですか?」
「なに言っているのー? キャンプだよ」
「え?」
「聞いてない?」
「はい」
ぽかんとしてたら、横にいたAさんから「さあ、動く、動く」と荷物を渡され、砂利道を進むと、その先には河原とテントと焚き火。
そして、Mさんのパートナーである編プロの社長と見知った先輩たち、同世代の仲間たちが和気あいあい。
「佐口、ホントにきちゃったの」
「はい。あの、打ち合わせは?」
「だから、キャンプでしょ!」
社長がニッコリと笑ってて、もう、なんだよ、このニカッとニッコリ夫婦!!
と、あんぐりしたのもつかの間、カバンとノートくらいしか持っていない状態で人生初のキャンプ&テント泊を体験することに。
アウトドア度数ゼロの10代を送っていたので、何もかも新鮮で、Mさんの起こす焚き火を眺め、よくわからないけど次々と繰り出される料理(スパイスに漬け込んだ鳥肉が超絶うまかった)をいただき、ビールを飲むうち、超楽しくなっちゃって、終いには記憶もあやふやで、「打ち合わせしましょうよ」と絡んだりしながらテントに倒れこんだのだ、とか。
翌朝、寝袋から這い出して、テントを出ると、目の前は川で、うん、キャンプだ、夢じゃなかった。
なんてぼけーっとしてたら、すでに何やら火の周りでごそごそやっていたMさんが、「コーヒー飲むー?」と聞いてきて、コポコポ沸き出すいかにもアウトドアなケトルで、にが目のヤツを淹れてくれて、「どう? おいしい?」と聞くもんで、もう何回言ったかわからない「うまいです」を繰り返し、山って二日酔いにならないんだなーとぼんやり。
「どう、キャンプ?」
「楽しいですね」
「ね。今度は、ちゃんと予定教えるから、また来なよ」
そう言って再びニカッと笑ったMさん。
その後も何度かキャンプに参加したのだけれど、1回目の印象が強すぎて、2回目以降の記憶はごちゃ混ぜになっている。
薄暗くなった青梅駅前。
銀色のハイエース。
さらわれる?
誰が降りてくんの?
のあとの、ニカッ。
いい大人がいたずら大成功って顔で笑ってて、連れて行かれた先では社長がニッコリ笑ってて、夫婦ってものが想像もつかない若造でも、一緒にいるべくして出会ったふたりという気がした。
もう何年も前だけど、最後に会ったときもニカッと笑ってた。
なぜか、アジフライと唐揚げをごちそうになって。
いつも食べさせてもらってばっかだったな。
どうかニッコリ見送ってください。
どうかニカッと待っててください。
「佐口、今日と明日、時間ある?」と編プロの先輩ライターのAさんから電話がかかってきた。
仕事を始めたばかりで、電話は滅多にならず、時間はどっさり余っていた。
「ありますよー」
「新宿で打ち合わせするから、◯時に来れる?」
「はーい」
合流し、向かった先は丸正だった。
食品売り場でカゴを持たされ、あれやこれやを買い込む。
なんかヘンだ。
でも、料理の撮影もやっている編プロだったから、スタジオへ行くのかな? と思ってた。
だけど、次に向かった先は中央線のホーム。
乗り込んだのは青梅特快、青梅行。
せいぜい行っても吉祥寺辺りで降りるんだろうと思っていたら、特快は吉祥寺止まらないのね。
三鷹を出たら、ぐんぐん都心から離れていって、薄暗くなった頃、青梅に到着。
「えーと、なんですか? これ?」
「いいの、いいの。お迎え来てるからー」
駅前に止まっていたのは、シルバーのハイエース。
ドアが開いて、ニカッと笑顔でカメラマンのMさんが現れた。
「おー、佐口。よく来たねー」
「はい」
「乗って乗って」
あ、やっぱ撮影? でも、山で? 暗いけどなどとドギマギしているうち、ハイエースは山道を進み、駐車場に。
「着いたよー」
「はい」
「降りて降りて」
「はい」
「荷物持っていくの手伝ってね」
「はい。ここで撮るんですか?」
「なに言っているのー? キャンプだよ」
「え?」
「聞いてない?」
「はい」
ぽかんとしてたら、横にいたAさんから「さあ、動く、動く」と荷物を渡され、砂利道を進むと、その先には河原とテントと焚き火。
そして、Mさんのパートナーである編プロの社長と見知った先輩たち、同世代の仲間たちが和気あいあい。
「佐口、ホントにきちゃったの」
「はい。あの、打ち合わせは?」
「だから、キャンプでしょ!」
社長がニッコリと笑ってて、もう、なんだよ、このニカッとニッコリ夫婦!!
と、あんぐりしたのもつかの間、カバンとノートくらいしか持っていない状態で人生初のキャンプ&テント泊を体験することに。
アウトドア度数ゼロの10代を送っていたので、何もかも新鮮で、Mさんの起こす焚き火を眺め、よくわからないけど次々と繰り出される料理(スパイスに漬け込んだ鳥肉が超絶うまかった)をいただき、ビールを飲むうち、超楽しくなっちゃって、終いには記憶もあやふやで、「打ち合わせしましょうよ」と絡んだりしながらテントに倒れこんだのだ、とか。
翌朝、寝袋から這い出して、テントを出ると、目の前は川で、うん、キャンプだ、夢じゃなかった。
なんてぼけーっとしてたら、すでに何やら火の周りでごそごそやっていたMさんが、「コーヒー飲むー?」と聞いてきて、コポコポ沸き出すいかにもアウトドアなケトルで、にが目のヤツを淹れてくれて、「どう? おいしい?」と聞くもんで、もう何回言ったかわからない「うまいです」を繰り返し、山って二日酔いにならないんだなーとぼんやり。
「どう、キャンプ?」
「楽しいですね」
「ね。今度は、ちゃんと予定教えるから、また来なよ」
そう言って再びニカッと笑ったMさん。
その後も何度かキャンプに参加したのだけれど、1回目の印象が強すぎて、2回目以降の記憶はごちゃ混ぜになっている。
薄暗くなった青梅駅前。
銀色のハイエース。
さらわれる?
誰が降りてくんの?
のあとの、ニカッ。
いい大人がいたずら大成功って顔で笑ってて、連れて行かれた先では社長がニッコリ笑ってて、夫婦ってものが想像もつかない若造でも、一緒にいるべくして出会ったふたりという気がした。
もう何年も前だけど、最後に会ったときもニカッと笑ってた。
なぜか、アジフライと唐揚げをごちそうになって。
いつも食べさせてもらってばっかだったな。
どうかニッコリ見送ってください。
どうかニカッと待っててください。
2016年04月21日のつぶやき
- 2016.04.22 Friday
- 02:30
00:02
右も左もわからないまま飛び込み、受け止めてもらいました https://t.co/xwEFRk3yza #jugem_blog
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右も左もわからないまま飛び込み、受け止めてもらいました
- 2016.04.21 Thursday
- 00:02
先日、とても懐かしい皆様と邂逅する催しがありました。
ひょっこりやってきた学生に「じゃ、明後日取材行って」とあっさり言ってくれた編集さん。
初めて上げたデータ原稿を目の前でビシバシ赤入れ(データ原稿に!)してくれた編集さん。
なぜか取材先に向かう埼京線での会話のシーンが最初に思い浮かぶ少し年上の姉さん編集さん。
麻雀が超強い某誌の現編集長。
ご活躍を他誌のクレジットで眺めているライターさんたち。
いろんな現場で無理難題をクリアしていく頼れるカメラマンさんたち。
22年間、先を行く背中を眺めてきた大先輩とは初めて挨拶させてもらえました。うれしかった。
帰れなくなったある日の夜、クルマで1時間半先の家まで送ってくれた元編集、現営業部の兄さん。
経費の精算や配本でいつもいつもご迷惑をかけていた総務の姉さん。
ああ、雑誌は生き物だなぁと。
ここで育ててもらったと思えるのは幸せなことだなぁと。
そして、最年少ポジションのなんて快適なことか。
数年後に次もまた呼んでもらえるよう精進します。
ひょっこりやってきた学生に「じゃ、明後日取材行って」とあっさり言ってくれた編集さん。
初めて上げたデータ原稿を目の前でビシバシ赤入れ(データ原稿に!)してくれた編集さん。
なぜか取材先に向かう埼京線での会話のシーンが最初に思い浮かぶ少し年上の姉さん編集さん。
麻雀が超強い某誌の現編集長。
ご活躍を他誌のクレジットで眺めているライターさんたち。
いろんな現場で無理難題をクリアしていく頼れるカメラマンさんたち。
22年間、先を行く背中を眺めてきた大先輩とは初めて挨拶させてもらえました。うれしかった。
帰れなくなったある日の夜、クルマで1時間半先の家まで送ってくれた元編集、現営業部の兄さん。
経費の精算や配本でいつもいつもご迷惑をかけていた総務の姉さん。
ああ、雑誌は生き物だなぁと。
ここで育ててもらったと思えるのは幸せなことだなぁと。
そして、最年少ポジションのなんて快適なことか。
数年後に次もまた呼んでもらえるよう精進します。
2016年04月16日のつぶやき
- 2016.04.17 Sunday
- 02:31
01:56
打ち返すのに飽きちゃって https://t.co/0f57JCpMfe #jugem_blog
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打ち返すのに飽きちゃって
- 2016.04.16 Saturday
- 01:55
昨日はこれまであまり取り組んだことのない形でのアウトプットが求められる新案件の取材でした。
お邪魔したのは、創業5年目を迎える企画とデザインの会社です。
メンバー4名。
以前、SEKAI NO OWARIさんをインタビューしたときのようなバランスの良さと仲の良さ。
撮影していたスタッフが、バンドみたいな空気感ですねって言っていたのですが、まさにそんな感じでした。
呼吸の間がいい。以心伝心。
オフィスも扉を開けて入った瞬間、今日もいいことしにきたぜ! と思える雰囲気で、ここに打ち合わせに行くときは楽しい気持ちになるだろうな、と。
(4人のバランスがあまりに良くて、仲間に入って働く想像は働きませんでした)
で、インタビュー中、どどーんと響いたのが、こちらの言葉。
創業メンバー3人+1人の編成で、後から合流した方に、どうして入社したんですか? と聞いたら…。
「このくらいの感じの仕上がりで…と言われて、これくらいの感じだよねって打ち返すのに飽きちゃって。ここなら、おもしろいことができると思ったから」
「でも、入ってみたら、そのおもしろいことを形にするの、わたしなんだ!? と焦ったんですけどね(笑)」
打ち返すのに飽きちゃって…には本当にドキッとしました。
しかし、名言連発の4人同時インタビューで、どう紡ぎ合わせるか、今からワクワク悩んでおります。
お邪魔したのは、創業5年目を迎える企画とデザインの会社です。
メンバー4名。
以前、SEKAI NO OWARIさんをインタビューしたときのようなバランスの良さと仲の良さ。
撮影していたスタッフが、バンドみたいな空気感ですねって言っていたのですが、まさにそんな感じでした。
呼吸の間がいい。以心伝心。
オフィスも扉を開けて入った瞬間、今日もいいことしにきたぜ! と思える雰囲気で、ここに打ち合わせに行くときは楽しい気持ちになるだろうな、と。
(4人のバランスがあまりに良くて、仲間に入って働く想像は働きませんでした)
で、インタビュー中、どどーんと響いたのが、こちらの言葉。
創業メンバー3人+1人の編成で、後から合流した方に、どうして入社したんですか? と聞いたら…。
「このくらいの感じの仕上がりで…と言われて、これくらいの感じだよねって打ち返すのに飽きちゃって。ここなら、おもしろいことができると思ったから」
「でも、入ってみたら、そのおもしろいことを形にするの、わたしなんだ!? と焦ったんですけどね(笑)」
打ち返すのに飽きちゃって…には本当にドキッとしました。
しかし、名言連発の4人同時インタビューで、どう紡ぎ合わせるか、今からワクワク悩んでおります。
2016年04月14日のつぶやき
- 2016.04.15 Friday
- 02:31
10:24
華美ではないが、背伸びしていい紙を使いなさい https://t.co/BAqwuBcqoH #jugem_blog
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華美ではないが、背伸びしていい紙を使いなさい
- 2016.04.14 Thursday
- 10:23
一昨日、ひさしぶりに原稿&取材ゼロデーがやってきました。
警察署に行って免許証の住所変更して、天気も良かったので護国寺経由で池袋まで歩き、彼の地で働く友人と昼飯を食い、大人の雑談を堪能し、東急ハンズ池袋店で発注していた新住所の名刺を受け取りました。
今や名刺はネット経由でいくらでも発注できるのですが、ライターと書いた名刺を初めて作った頃は窓口で頼むものでした。
僕は学生からいきなりフリーになったなし崩し型なので、最初は某編集部の名刺、某編プロの名刺2種類と、3種類の名刺を持たされて仕事先に出入りしていました。
今思うと雑な話なんですが、数ヶ月前まで学生だった僕でも受付で持たされていた名刺をひょいっと出して、訪問先だけ告げればキー局をはじめ、ほとんどの企業の建物にスタスタ入れる時代だったんですね。
まあ、いろいろ思い出します。
雑誌の取材で某大手広告代理店の副社長のアポを入れたら、うまいこと取材が取れてしまい、着慣れないスーツを来て役員フロアに行き、ふかふかソファで対面すると、怪訝な顔をした副社長から「失礼だけど、あなた、おいくつ?」と聞かれ、馬鹿正直に「ハタチです」と応えたら、どえらい若造きやがったなと唖然されたこと。
某キー局でなぜか気難しいと評判だった広報のお局さんになぜか気に入られ、「あそこはおまえ行っとけ」と丁稚していたある日、ドラマの資料と写真を受け取っていたら、ボンっと小さな爆発音がして一時騒然。あとから聞くと、「同情するなら金をくれ」で人気絶頂だった子役俳優さんに宛てて届いた封筒が爆発したという事件だったこと。
某経営コンサルタントさんが見かねた様子で、ネクタイの締め方と名刺の受け取り方を教えてくれたこと。その後も、取材の後には礼状を出しなさい、忙しい相手を捕まえたいときは駅か空港を取材場所にすればいいなどなど、作法を教わり、そうかと思えば、腹は減ってないか? 昼飯どうだ? と何かと気にかけてくださって、本当にありがたかったこと。
で、元記者でもあったその先生が「今は編集部の名刺を持っているけど、専属ではないんだろ? じゃあ、自分の名刺を作りなさい。スポード名刺じゃダメだよ。背伸びしていい紙を使い、華美ではないが、印象に残る名刺にしなさい」とアドバイスしてくれたのがきかっけで、話は東急ハンズ池袋店に戻るのでありました。
肩書きはなんて入れたらいいんだろ? とか、住所が家ってヘンかな? とか、いろいろ疑問に感じながら、ハンズの店員さんにいろいろ聞きながら、ようやく初めての自分の名刺ができたときのうれしかったこと。
某経営コンサルタントの先生も、「変わった紙だけど、いいな。手触りもいいし、うっすら模様が入っているのもいい。あと、この円のデザインは目立つし、縁起も良さそうだ」と褒めてくれました。
(うーん、疋田先生お元気かしら)
以来、ずっとハンズのデザイン工房にお願いをしていました。
とはいえ、実際にデザインし、印刷していたのはハンズと提携しているデザイン会社です。
どこに会社があるのかも知らないアートさん。
このアートっていうのもたぶん略称で、でも、こちらの会社が扱っている紙とデザインで作られた名刺とともに長らく一緒にやってきただけに、すごく身近に感じていました。
ところが、そのアートさんがなんと廃業されるそうで…。
今のデザインと今の紙の名刺は最後に発注をかけた200枚でおしまいになってしまうことに。
企業の平均寿命は23年(帝国データバンク調べ)と言われているので、仕方なきことなのかもしれません。
でも、猛烈にさみしいです。まだ見ぬアートさんの担当さんありがとうございました。
次はどこで名刺を作ればいいのだろう。
警察署に行って免許証の住所変更して、天気も良かったので護国寺経由で池袋まで歩き、彼の地で働く友人と昼飯を食い、大人の雑談を堪能し、東急ハンズ池袋店で発注していた新住所の名刺を受け取りました。
今や名刺はネット経由でいくらでも発注できるのですが、ライターと書いた名刺を初めて作った頃は窓口で頼むものでした。
僕は学生からいきなりフリーになったなし崩し型なので、最初は某編集部の名刺、某編プロの名刺2種類と、3種類の名刺を持たされて仕事先に出入りしていました。
今思うと雑な話なんですが、数ヶ月前まで学生だった僕でも受付で持たされていた名刺をひょいっと出して、訪問先だけ告げればキー局をはじめ、ほとんどの企業の建物にスタスタ入れる時代だったんですね。
まあ、いろいろ思い出します。
雑誌の取材で某大手広告代理店の副社長のアポを入れたら、うまいこと取材が取れてしまい、着慣れないスーツを来て役員フロアに行き、ふかふかソファで対面すると、怪訝な顔をした副社長から「失礼だけど、あなた、おいくつ?」と聞かれ、馬鹿正直に「ハタチです」と応えたら、どえらい若造きやがったなと唖然されたこと。
某キー局でなぜか気難しいと評判だった広報のお局さんになぜか気に入られ、「あそこはおまえ行っとけ」と丁稚していたある日、ドラマの資料と写真を受け取っていたら、ボンっと小さな爆発音がして一時騒然。あとから聞くと、「同情するなら金をくれ」で人気絶頂だった子役俳優さんに宛てて届いた封筒が爆発したという事件だったこと。
某経営コンサルタントさんが見かねた様子で、ネクタイの締め方と名刺の受け取り方を教えてくれたこと。その後も、取材の後には礼状を出しなさい、忙しい相手を捕まえたいときは駅か空港を取材場所にすればいいなどなど、作法を教わり、そうかと思えば、腹は減ってないか? 昼飯どうだ? と何かと気にかけてくださって、本当にありがたかったこと。
で、元記者でもあったその先生が「今は編集部の名刺を持っているけど、専属ではないんだろ? じゃあ、自分の名刺を作りなさい。スポード名刺じゃダメだよ。背伸びしていい紙を使い、華美ではないが、印象に残る名刺にしなさい」とアドバイスしてくれたのがきかっけで、話は東急ハンズ池袋店に戻るのでありました。
肩書きはなんて入れたらいいんだろ? とか、住所が家ってヘンかな? とか、いろいろ疑問に感じながら、ハンズの店員さんにいろいろ聞きながら、ようやく初めての自分の名刺ができたときのうれしかったこと。
某経営コンサルタントの先生も、「変わった紙だけど、いいな。手触りもいいし、うっすら模様が入っているのもいい。あと、この円のデザインは目立つし、縁起も良さそうだ」と褒めてくれました。
(うーん、疋田先生お元気かしら)
以来、ずっとハンズのデザイン工房にお願いをしていました。
とはいえ、実際にデザインし、印刷していたのはハンズと提携しているデザイン会社です。
どこに会社があるのかも知らないアートさん。
このアートっていうのもたぶん略称で、でも、こちらの会社が扱っている紙とデザインで作られた名刺とともに長らく一緒にやってきただけに、すごく身近に感じていました。
ところが、そのアートさんがなんと廃業されるそうで…。
今のデザインと今の紙の名刺は最後に発注をかけた200枚でおしまいになってしまうことに。
企業の平均寿命は23年(帝国データバンク調べ)と言われているので、仕方なきことなのかもしれません。
でも、猛烈にさみしいです。まだ見ぬアートさんの担当さんありがとうございました。
次はどこで名刺を作ればいいのだろう。
2016年04月09日のつぶやき
- 2016.04.10 Sunday
- 02:31
14:28
あるところにはあるというお話 https://t.co/JKaf67LTf2 #jugem_blog
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あるところにはあるというお話
- 2016.04.09 Saturday
- 14:28
パナマ文書の話で、もうちょっとだけ。
このニュースで、アメリカの企業や富裕層の名前があんまり出てこないのは、ネバダ州やデラウェア州にタックスヘイブン的な役割を担っている“特区”があるからだと思います。
昨日の雑記に書いた著者さんから「1つのビルに10万社以上の会社が入っている」と初めて聞いたときは、またまた大げさな…と思っていたんですが、1年くらいしてからニューヨーク・タイムズにこんな記事が出たってことをクーリエ・ジャポンで読み、おお! と驚いたのが、もう4年前。
ネットでまだ読めました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33392
便利ですなー。
このニュースで、アメリカの企業や富裕層の名前があんまり出てこないのは、ネバダ州やデラウェア州にタックスヘイブン的な役割を担っている“特区”があるからだと思います。
昨日の雑記に書いた著者さんから「1つのビルに10万社以上の会社が入っている」と初めて聞いたときは、またまた大げさな…と思っていたんですが、1年くらいしてからニューヨーク・タイムズにこんな記事が出たってことをクーリエ・ジャポンで読み、おお! と驚いたのが、もう4年前。
ネットでまだ読めました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33392
便利ですなー。
同時期に上院議員のカール・レビンという人がタックスヘイブンを規制する法案を議会に提出し、国内のグローバル企業の海外での脱税について追求してはバチバチやっているのですが、一方、州の自治権が強いためか、「タックスヘイブンの要件に当てはまらない」という主張が通っているのか、国内の“特区”的な地域への規制はまだどうなるやも知れずといった模様。
複数の日本企業がパナマ文書のリストに載っているとのことですが、裏を返せば国内に“特区”がないことの表れとも言えるので、なんというか悪い話ばっかりではないのかな、とも。
複数の日本企業がパナマ文書のリストに載っているとのことですが、裏を返せば国内に“特区”がないことの表れとも言えるので、なんというか悪い話ばっかりではないのかな、とも。