もやもやっとする話

  • 2017.03.22 Wednesday
  • 11:05

秋の終わりに、東京でひとり暮らしをしていた叔父さんが亡くなって、以後、いろいろと撤退戦のようなことをしています。

請求というのは死後も追いかけてくるもので、誰もいない家に請求書が届き、口座に金がないとなれば、赤い色をした通知が我が家に転送されてきます。

 

契約した以上、払うものは払わなければならない…のは重々承知しています。

そして、実際の支払いは叔父さんのお兄さんが行ってくれるので、僕の財布は痛みません。

それでもやはり、モヤッとした気持ちは残ります。

特に苛立ってしまったのが、docomoとNHKです。

 

亡くなる1ヶ月ほど前、叔父さんはずっと使っていたらくらくフォンの充電の状態がおかしいと言い、近所のdocomoショップへ行きました。叔父さんの希望は、充電のトラブルを解消してもらうか、同じフリップ型のらくらくフォンに買い換えることでした。

僕は店に同行できなかったため、事前に電話をかけて「バッテリーの在庫があれば交換対応可能です」「なければ取り寄せになるので時間がかかるかもしれません」と聞き、まあ希望通りにいくのだろうなと思っていたんですが…。

 

次に会ったら叔父さんはらくらくスマホを持っていました。

「使い方がよくわからないんだよ」とぼやいていました。

そりゃそうです。メトロの券売機だってあたふたしているのに、人生初のタッチ式です。

「なんでスマホになったの?」と聞くと、「よくわかんないんだけど、店の人が安くできるし、今日持って帰ってそのまま使いたいならこれがオススメと言うから」「でも、使い方わかんないんでしょう」「そうだよな。だけど、早口で何言っているかわからないし、俺もしんどかったから早く家に帰りたくてさ。毎月の料金は変わらないって言うし」と。

 

退院直後でしんどいのはわかるし、まあ、使っているうちに覚えるもんかな、使い方が本当にわからなければdocomoショップも近いし、聞きに行けば…と軽く考えていました。

 

が、1ヶ月後、叔父さんは自宅で亡くなりました。

玄関先で倒れていて、らくらくスマホは近くに落ちていたそうです。

ヘルパーさんだったか、刑事さんだったかが、「どうして救急車呼ばなかったんだろうね」と言っていました。

これは想像ですが、何らかの梗塞があった後、うまく操作ができなかったんじゃないかと思っています。

 

思い返してみれば、叔父さんはその1ヶ月の間「かけるのも、出るのも難しいね。これ」と何度もぼやいていました。

で、使い方を教えてくれと言われるたび僕は、操作できないもんをオススメして売るなよ、docomoショップの人。

自分が甥や孫の立場だったらって考えて商売してくれよ…とうんざりしていました。

その延長線上に119ができなかったという結果があるなら…と思うと、後悔が残ります。

 

そんなこんなで誰も使い手がいなくなったらくらくスマホの本体は、僕の机の引き出しの中にあります。

しばらくすると、docomoからの請求書が叔父さんの旧住所から転送されてくるようになりました。

これは契約を解除しなければと思い、連絡すると今度はらくらくスマホ本体の買い取り料金がかかるという話になりました。

しかも、回線契約の解除を申し出るのが遅かったため、延滞金も発生していました。

そりゃ、そうですよね。

叔父さんはオススメに従って、月々の支払い額の変わらないキャンペーンで契約したわけで、実態は分割払いです。

回線契約を切ったら、分割払いではなく、一括請求になるという理屈、わかります。

でもなんでしょうね、この心のもやもや感。

 

NHKも同じです。

口座引落ができなくなりました。

口座に入金してください。

というお知らせのハガキが転送されてきたので、電話で問い合わせを入れ、状況を伝えると今月分はけっこうですので先月分をお支払いいただけますか。叔父様の口座に今後、入金の予定はございますか? 支払い用紙をお送りしましょうか? と。

いたって回収サイドに立ったお話でした。

わかりますよ。お仕事ですから。

でもなんでしょうね、この心のもやもや感。

 

 

やれやれ、もやり

  • 2016.12.21 Wednesday
  • 04:08

求めてくれる人がいたら、そこで懸命にがんばりなさい。

そうしたら、次にまた誰かが求めてくれるようになります。

 

小さなことでもいいから、自分がやったと言えることをしなさい。

やったことを褒めてくれる人がいたら、その人のためにがんばりなさい。

 

じいちゃんと庭の草取りをしているとき、教わった2つの考え方です。

聞いたのは中学生のときで、そのとき相談した内容は学校での些末な悩みだったと思います。

道徳の授業みたいでしたが、すごくハラオチして、それ以来、いっつも頭のどっかに残っていて、今も判断のベースになっています。

 

その後、仕事を通じて経済的な意味で大成功した人たちにインタビューする機会に恵まれ、この2つは土台にはなるけれど、ジャンプ台にはならないんだなとわかってきました。

跳ね上がる人は、もっと自由で、シンプルで、強い我を持っています。

 

彼らの話を聞き、原稿に書き起こしながら、なるほどなぁと思うものの、あまり影響を受けずにここまできました。

あいかわらず、草取りのときに聞いた2つの考え方を支えにしています。

自由も、それを求める強い我も、支える強さも切迫感も持っていないんだろうなと。

いい塩梅の安全圏でバランスを保ちながら、それでもプレイヤーとしては役立てるようになってきたように思います。

 

うーむと唸るのは、1つの仕事に対して求めてくれる人が2人いて、双方の考えや立場にズレが生じているとき、どうしたらいいのか。

うまく天秤がつりあう落とし所を見出だせるといいのですが、いつもいつもそううまくはいきません。

そうなったとき、また別の求めてくれる人を探しに行くのが、ロスの少ない選択だとは思うのですが、割り切れそうで割り切れない。

やれやれ、もやりな年末です。

 

僕がおじさん

  • 2016.11.10 Thursday
  • 04:47

先日、ホームタウンとも言うべき、出版社さんへ打ち合わせに行った帰り道。

会社近くの路上で、最近はあまりご一緒していないものの、過去に何冊も一緒に作った編集さんとばったり。

40代前半から中盤への回廊を進む同世代。

 

一応、てくてく歩いている僕に「骨折治ったんですか?」と編集さん。

そして、声をかける前、あまりにシリアスな表情だったので「おつかれですか?」と僕。

(考えてみれば、「おつかれですか?」の声掛けは失礼です。ネガ過ぎます)

 

「くっついたんですが、まだ痛いんですよ」

「寝て起きてもだるいなぁと思って病院に行ったら、睡眠時無呼吸症候群というのだったんですよ」

「ああ、別の編集さんも疲れの原因がそれだったって言ってましたよ。なんか寝るときに機械つけるんですよね」

「やってます。やってます。いやー、なんかあれですね」

「ですね。やっぱきますよね、いろいろ」

「ぱりっとしない」

「おっさんですね」

「はい」

「最近、僕が衝撃を受けたのは、耳毛です」

「は?」

「濃くなってきているんですよ」

「ああ」

「中学生のとき、国語の先生の耳毛が黒くて長くて、おっさんって謎! と思っていたんですけど、行き着く先はあそこかも」

「思わぬところにも白髪出てきますしね」

「ねえ」

 

といったところで、お互いにニヤリとして、「また何かやりましょう」と言って別れました。

おっさんトーク。癒されます。

耳毛は地味に処理してます。

気になるときは、ぜひ教えてくださいm(_ _)m

僕の叔父さん

  • 2016.11.02 Wednesday
  • 00:02

子供の頃、毎週見ていたアニメの「サザエさん」。

ノリスケおじさんはちょっとドジで、とっつきやすくて、時々、本当に時々かっこいいイメージだった。

子供の頃、高級料亭で板前をしていた叔父さんは、僕にとっての身近なノリスケおじさんだった。

 

5人兄弟の末っ子だった叔父さんは、おばちゃんからも、伯父さんからもダメな弟扱いをされていて、じいちゃんばあちゃんからはいつも心配されていた。

でも、甥っ子にしてみるとたまに遊んでくれるし、お年玉もくれるし、いたずらは大目に見てくれるし、うるさいこと言わないし、泊まりにくるとわかるとワクワクして待っていた。

 

よく覚えているのは中学生のとき、叔父さんは板長のお手伝いとしてフジテレビのドラマかバラエティかで調理シーンに協力し、いろいろとノベルティグッズをもらってきてくれた。

まだ河田町にあったフジテレビの目玉マーク入りの腕時計を「へへ」と思いながら学校にしていって友だちに自慢したら、何人も見に来て、いい気分だった。

ネットもケータイもない時代、テレビはとんでもなく華々しいものだったんだと思う。

 

専門学校を卒業する段階になって、料亭の板長さんとお会いしたことがある。

話はこんがらがっていて、誰がどう心配してくれたのかよくわからないけど、就職口の紹介だった。

板前じゃなく、マスコミへの。

というのも、その店の常連さんに大手出版社から独立し、とある出版社を設立したばかりの有名編集者がいたのだ。

若い社員を募集しているとのことで、もし、板長のお眼鏡に叶えば、編集者さんに橋渡ししてくださるという話だった。

たぶん、どっかで叔父さんも口添えはしていてくれたのだと思う。

 

ただ、この話はうやむやに終わった。

当時、僕は駆け出しライターで、向こうが探していたのは文芸の見習い編集者で、クソ生意気にも僕は気乗りしなかった。

板長さんもなんだか偉そうだったしね。

20代半ば過ぎで仕事が途切れがちになったとき、その出版社はどんどんヒットを飛ばしていて、このときの選択を後悔したこともあるけれど。

 

そんなふうに後悔していた頃の2、3年後、叔父さんは日本橋のデパートに出店していた支店に異動になった。

なぜか親子丼の達人として、テレ東の番組に出たりしていた。

僕は僕で、当時の彼女を連れて叔父さんのところへ食べに行き、なんだかいろいろサービスしてもらっていい気になっていた。

 

それからしばらくして、仔細はわからないけど、叔父さんは店を辞めた。

金主が付いて独立するって聞いていたけど、不景気の波にのまれて話が流れ、赤坂見附の天ぷら屋さんで働き始めた。

かつての赤坂プリンスの近くで、接待やら商談という財布の痛まない金が落ちそうなお店だった。

一度、おばちゃんと2人、天ぷらをごちそうになったと思う。

店の雰囲気が大人過ぎて、味はあんまり覚えてない。

でも、奥の調理場から出てきた叔父さんは、いつもの人の良さそうな笑顔だった。

 

それから10年くらい、叔父さんとは年に1回顔を合わせるかどうかになっていった。

おばちゃん経由で聞くかぎり、叔父さんのキャリアは完全に下降線だった。

景気が回復したら店を出すはずが、失われた10年は20年になって、実現しなかった。

なんだかよくわからないけど、叔父さんはデパートの肉屋さんで働くようになっていた。

時々会うと、すごいうまい牛肉をくれたりしたけど、顔をいつもちょっと疲れていた。

 

僕らの結婚式。

よくわかんないけど、おばちゃんたちが兄弟げんかしていたため、さみしい人数になってしまった僕の方の親族席で、叔父さんは明るく振る舞って、妻の親族と交流してくれていた。

式が終わった後、「いい挨拶だったよ」と涙目で言ってくれて、すごいうれしかったのを覚えている。

 

そんな叔父さんが去年、心筋梗塞で倒れた。

一番近くに住んでいた親類が僕で、おばちゃんから連絡を受け、病院に行った。

緊急手術を終え、集中治療室に横たわっていた叔父さんは痛々しかった。

でも、幸いに症状は軽くて、2ヶ月後には仕事に復帰していた。

ある日、ふらっと渋谷のお店を訪ねたら、僕より全然若い男とコンビを組んで、肉を捌いていた。

「急に来たから、びっくりしたよ」と言いながら、ローストビーフを持たせてくれた。

 

今年、今度は脳梗塞で倒れた。

幸いおばちゃんが叔父さんのところに泊まっていて、すぐに救急車を呼べた。

後遺症もごく軽く、でも、血管の状態がひどく悪いから2ヶ月は入院しなさいと言われ、叔父さんはがっかりしていた。

すると、何度かの検査の末、胃がんが見つかった。

医師は切るべきと言い、叔父さんも渋々といった感じで納得して、手術を受けた。

3分の2の胃とともにガンは摘出されたけど、血管の状態は悪いまま。

仕事への復帰は難しい。

でも、田舎には帰らない。

いい方法を模索して、入院中から週に1回ペースで叔父さんと顔を合わせるようになった。

途中、僕が足を折ったから見舞いやケースワーカーさんとの打ち合わせで病院に行くと、叔父さんが車椅子を押してくれた。

「どっちが病人かわからないな」と笑われた。

3ヶ月ちょっと入院の末、叔父さんは退院した。

 

約2ヶ月、もろもろの書類を整えて、相談や面談を終えて、ヘルパーさんが通ってくれるようになり、新しい生活のペースみたいなものが整っていくのかな……というところで、叔父さんは亡くなってしまった。

玄関先で倒れていたと言う。

もっと早く駆けつけていれば、と思う。

締め切りが山積みのこのタイミングでか、とも思ってしまう。

 

病院の霊安室に行くと、すぐに目を覚ましそうな顔で横になっていた。

ぼんやりして涙も出ない。

叔父さんの部屋に駆けつけてくれたヘルパーさんと管理会社の人とともに、警察の事情聴取を受ける。

病院付きの葬儀社がやってきて、今後のことは? と聞いてくる。

わけがわからないし、叔父さんは笑わない。

 

深夜、現場検証のため、叔父さんの部屋に行く。

臭いがすごい。誰もいない。

つい何日か前、区役所からここまでクルマで送ったのに。

刑事さんが部屋の中を調べる間、叔父さんが退院前に「どこで間違って、こうなったんだろうな。俺、なんか悪いことしたかな。時々わけがわからなくなるんだよ」と呟いていたのを思い出す。

僕は今、わけがわからないよと言っても叔父さんはもう笑わない。

 

子どもと寝落ちして夜中に目が覚めて、覗き込んだ穴の中。寝よう。

  • 2016.10.01 Saturday
  • 04:25

ここ2ヶ月ほど、親戚の入退院などあり、人の暮らしはその人の選択の連なりによって成り立っているんだなぁと。

当たり前のことをしみじみ感じております。

積極的で前のめりな選択も、見て見ぬふりの選択も、やめとこう今は動かないという選択も、積み重なってなくなりはしないのです。

巻き戻してやり直しは1回もできない。

こりゃすごい話です。

 

真夜中に目が覚めてしまって、あれ? 何がどうなってこなっているんだっけ?

などとあみだくじを遡り始めると、下っ腹のあたりがひゅっとなってきます。

 

おじさん、病室で何度か「なんでこうなったんだろうな」とつぶやていました。

別のおじさんは、「あいつは、やると決めれなかったからだ」と納得しようとしていました。

おばさんは、「あいつは、本当に何も知らない。何もできない」と憤っていました。

 

振り返ってみてもどうしようもないのに、人は振り返ります。

 

ひるがえって自分はどうだ?

筒の中に流れ込んできた人の言葉を整えて、お出ししては空っぽになる筒の中。

そこに砂金の粒のようなものが残っているといいのだけれど。

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